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日本文化発祥の聖地 大峯弥山

 日本民族の祖先が、その各々の宗教を超越して、壱千参百年来、烈火のごとき修練を敢行し、世界平和の先達として、社会生活向上に寄与した、大峯修行、天の安河文化の真髄を再検討し、開く時がきました。

 大峯修験道には、十界の修行というのがあります。

我々はこの修行を、単に空論に終わらしめる事なく、直ちに実践躬行(きゅうこう) に移して、人をして歓喜の体験を得せしめ、大自然と人生との融合によって、最も速やかに大人格を完成せしめ、以て社会生活向上に寄与せしめようとするものであります。

 人々はこの十界の修行を敢行して始めて、一人前の人格を完成するのでありますが、これは役行者が衆生済度の手段として説かれたところで、我が民族宗教の理想とも言うべきものであります。

 大峯修験道には、元来伽藍(がらん) と言うものはありません。

 吉野より熊野に至る延々七十五靡(なびき)、すなわち金峯(きんぷ)、大峯、熊野の大自然の全貌そのままを大スケールの一大伽藍としているのであります。

 言霊発祥の源、大峯七十五靡、かくして大峯弥山が我が国の四河分流(しかぶんりゅう)(卍)の根源地として

我が民族宗教の発祥と如何なる関係を持つか、役ノ小角(えんのおづぬ)、神変大菩薩の諡號(しごう)に見るごとく、神道変じて仏道となった根本理念から解明する必要がありましょう。

 

我が国に儒教、道教、仏教が伝来するまでの大峯は、古神道すなわち我が民族宗教の大本山でありました。

従って、役ノ小角大峯開山当時の大峯山は神の山、あるいは天原山(あまはらやま)の名称があるように惟神(かんながら)の道の根源でありました。

 飛鳥、平城京、平安京において、大峯修行をしなかった高僧名僧のいない事実に徴ても、如何に彼等が仏教と我が民族宗教の融合の為に献身したかが知られます。

 我が国の四河分流(卍)の根源である大峯弥山は、水分嶺(すいぶんれい)の根源であります。

 

 日本正法伝に曰く、

「白鳳五年十月中の十日 ハツハナヒメ、産屋(うぶや)に入りて男子を出生。

キヨワカマロと名付けた。

キヨワカマロ、離乳の頃に至り、ハツハナヒメ 十五の督(とく)を引き連れ、キヨワカマロに告げて言うには

『余は天部(てんぶ)なり、仮に人体に生じ汝を生めり、長く停る(とどまる)身にあらず』

と言いて、御神鏡を形見に残し、十五の督を引き連れて天上し賜うなり、

その後小角(おづぬ)は形見に残し賜う御神鏡を天河に祀り(まつり)納め、弁才天女と称し賜う。

これ日本弁才天女勧請(かんじょう)のはじめなり」

 この御神鏡とは、五十の麻邇言霊(まにことだま)であり、精神の全要素で、この五十音麻邇を組み立て置き足らわした自然そのもの、森羅万象すべての宇宙曼茶羅でもあります。

布斗麻邇(ふとまに)とはアオウエイからワヲウヱヰ(母音、半母音)までの五十音であります。

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の「ウ」の音霊で始まり、五十番目の迦具土(かぐつち)の神に至る音霊であります。これを天(あめ)の御柱、国の御柱といいます。

 大峯七十五靡とは、この五十音(清音)に濁音、半濁音等が加わり、七十五音の音霊の場であり、森羅万象の響きを繰り広げる道場であり、清浄静寂な広大無辺の大宇宙の存在が、生命の内面の事実如実として体得される斎庭(ゆにわ)であります。

 

広大無辺の宇宙の扉が開かれる事は限りない驚異であり、同時に無限の歓喜であり、安堵であり、神の体得の出発と確信します。​

(太々神楽講通信への出稿記事より)

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​柿坂 神酒之祐(かきさか みきのすけ)

​昭和12年生まれ。奈良県吉野郡天川村に、7人兄弟の末っ子として誕生。若い頃には南米アマゾンにて暮らしたり、世界中を旅して、現地の人々の祈りの儀式などを実際に体験で学ぶ。その後、さまざまな仕事を経験しながら、父が宮司を務めていた天河神社で、掃除人として日々掃除に明け暮れる。昭和41年、天河神社 第65代宮司に就任。令和4年3月退任し名誉宮司に就任

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